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インパクトのある看板が目に入りました。

 北三河の151号線を走っていると写真の看板が目に入りました。

インパクトはすごく、興味を持ちましので看板横の「長篠城址史跡保存館」に

立ち寄りました。

 この地域は戦国時代に武田軍と徳川軍が激しく合戦を行ない武田軍滅亡の

原因になった、長篠の戦いがあった地域でした。

 ここ保存館は長篠城の跡にできて戦いの様子がよく説明されていました。

さて、看板の主は「鳥居強衛門」といい長篠城が武田軍に占領され、徳川軍に援軍を頼みに活躍し、最後は武田軍にとらえられ磔(貼りつけ)になったようすを看板にしていました。 

保存館の説明によると

 「5月14日、武田軍は躁攻撃をしかけた。城中の食料は4、5日

  だけ。梅雨の時、鳥居強衛門は徳川家康へ救援を依頼する死者と

  して長篠を抜け出した。

  15日の朝、かんぼう山で脱出に成功の狼煙を上げ、岡崎へ走った

  (50キロ)岡崎へは援軍の織田信長も到着していた。

  家康、そして信長の前で城の危急を訴え、まわりの人々も感動した。

  使命を果たして。休養を勧められたが、彼は引き返した。

  16日の朝、再びかんぼう山で「救援来る」の狼煙を3発。そして

  長篠城の対岸まで来たが、厳重に警戒する武田軍に捕らえられた。

  武田軍から「援軍は来ない、城を開け、武田軍は厚くもてなす」と

  呼ばれる様に説得され長篠の2の丸近くに立った。

  しかし、「援軍は来る。この目で見てきた。あと2、3日堅固に守れ」

  と叫んだので、対岸の長篠場野の池で磔(はりつけ)にされた。

  鳥居強衛門その時36歳。」

  

投稿日:2018/07/27   投稿者:-